公務員、早期退職、セミリタイア、豊かに生きながら金持ちになる軌跡

公務員31年目早期退職し、豊かな人生を送る道のり。

退職まであと90日

令和3年の振り返り。早期退職を決意し、そのための準備を進めてきた。退職後の生活のイメージを作り、その移行をどうやってスムーズに行うかを考えた。大きなテーマは『お金』と『退職後の生活』である。お金については、収支計算を90歳まで作成した。税金や保険料、耐久消費財の更新、年金は現在の8割、年間固定生活費など、細かく設定をした。1年間、家計簿をつけて生活費、固定費の適正値を割り出した。退職後の生活は、両親の見守り、家事の半分、市民農園で食材、庭のリホーム、釣り、ソロキャンプ、筋トレをメインとして、ブログとYoutubeで50代からの人生で豊かに生きるをテーマとして発信する。そのために、異動希望を出し勤務時間を変更した。市民農園は10年前から借りて野菜の栽培をしてきた。今年は、コストを重視しながら、食材として計画的に栽培した。庭のリホームのために、植木の抜根と土の不純物を取り除いた。今年はキャンプに行けなかったが、5年前から道具を揃えて、家族とデイキャン、ソロキャンをしている。健康のために自重筋トレを始めた。特に、腕立て伏せと懸垂にこだわっている。釣りは経験値がゼロである。退職後、スタートする予定である。すでに毎日が忙しく、退職して時間を持て余す暇はない。早期退職まであと3か月。必ず『豊かに生きる金持ちになる』ことを実現できるようにしたい。

退職まであと91日

家族行事について。我が家では、子どもの年齢に応じて、様々な家族行事をしてきた。大きな行事としては、お誕生日会、クリスマス会、餅つき、年2回の旅行など。妻には、これは老後の楽しみとしてやっている。これらを記録に残して、自分が年老いた時観て、こんな時があったよなぁと懐かしむ。何度もビデオを見返して。今日は餅つき会。子どもたちは普通に餅つきの日に合わせて帰省する。お爺さんは今回から、つき手を外れてまるめる係へ。その代わり長男がつき手になった。世代交代である。白餅、あん餅、豆餅を毎年作っている。子どもたちが、苺を買ってきて、つきたての餅で苺大福を作って食べることも定着している。だって美味しいからね。早期退職しても餅つきは続けていきたいと思っている。3人のうち誰が継いでくれるといいなぁと淡い期待もある。豊かに生きる金持ちとして自由な生活を目ざしている。

退職まであと92日

年賀はがき。終活年賀状に向けて、徐々に枚数を減らしてきた。5年くらい前から、年末までに出すのをやめて、来た年賀はがきにだけ返事を書くようにした。これで、かなり減ったが、25枚からは減らなくなった。学生時代の友人、かつての職場の方々である。早期退職に際して完全に終活年賀状をする予定です。終活年賀状サイトでは、相手に対して傷つけないように配慮することから、やめる宣言だけでなく、理由、今後の対応方法、手書きの言葉などを書くことを勧めている。一般的にはそうかもしれないが、これによって連絡が途絶えても構わないと考えている。退職すれば会社関係の人間関係はほとんどなくなると、多くの定年退職者が言っている。まして、再就職を考えていないし、社会的な繋がりを維持することに価値を置いていない。第一の人生のリセットを実行して、第二の人生をスタートさせる。その象徴的な行動が、終活年賀状なのである。終活年賀状を出しても連絡を取ってくれる方を拒む必要はない。多分出しても出さなくても、変わらない。第二の人生は、豊かに生きる金持ちになって、自分らしく、自由に生きたい。それだけです。

退職まであと93日

戸籍を調べる2。現住所と本籍は異なるので、本籍のある市役所へ向かった。自分で家系図作る方法をサイトで調べた。個人で調べることができるのは明治時代まで。予算は1万円ぐらいで、直系の親族を辿ることができる。受付窓口で、直系の家系を調べたいのですがと伝えると、係の人がパソコンの前で調べながらメモを取り、プリンターから何枚も打ち出されてくる。待つこと2時間以上。ようやく呼ばれることになったが、何か申し訳ない気持ちになった。私の直系の家系を辿ったら、4代前の男性は養子であることがわかった。昔はよくあることだが、親類間で養子縁組をしたり、従兄弟、再従兄弟姉妹で結婚したりする。年代と名前、地域名が分かるだけだが、戸籍謄本を読んでいき、家系図に書き換えると、自分が生まれるまでに誰がどのように繋がっているかを見ることができる。ただそれだけであるが、一人じゃないと感じる。命のリレーを見ることで、自分を大切にするというか、見守ってもらっている、そんな感じかなぁ。名門の家系ではないので、ここまでだけど、第二の人生をスタートさせるためのステップとして今回は自分のルーツを調べてみました。

退職まであと94日

戸籍を調べる。子どもたちが県外の大学生となり、家を出て、高齢者と初老の4人で暮らすようになり、自分の時間が増えたことで、趣味を増やしたり、知らないことを調べるようになった。平均寿命は80歳を超えたものの、やはり出来ていたことが出来なくなっていくのは事実で、寂しい思いもする。子どもたちがいつの日にか、家族を持ち、命を繋いでくれたらいいなぁと思っている。そうすれば、自分の役割を果たせたのではないかと考える。そう思うようになってから、自分の命は誰から誰のリレーなのか?祖父母の名前すら、曾祖父母は誰なのかも全く知らない。今までは自分のことだけを考えていたが、自分のルーツを知ることは大事なことで、必要なこと。知らない方が良かったと思うかも知れないが、この奇跡のリレーを受け止め、感謝することで多くの祖先の方々に支えられているという気持ちを持つことができる。その時、いったい何の不安があるのだろうか。生きることの意味は生きること、繋ぐこと。それが出来ていれば、後は大した問題ではないことが分かる。つまり、やりたくない事はしなくていいし、やりたい事はすれば良い。ただし、人に迷惑をかけない範囲で。

退職まであと95日

思い出旅行計画。勤続30年以上には思い出旅行として旅行代金60,000円が補助されます。合わせて勤続25年以上の職員にはリフレッシュ休暇として50,000円補助されます。今年度で退職する私にとって、今年度中に旅行を出発する必要があります。8月に仙台旅行を計画したのですがコロナのために中止せざるをえませんでした。状況が落ち着いている今、仙台旅行を再設定することにしました。変異株が気になるところですが、今度は中止をするつもりはありません。大卒後、31年間勤務してきた思い出の旅行でありますので、妻と一緒に行こうと考えています。オールインクルーシブの温泉ホテルに宿泊する予定です。

退職まであと96日

身体のメンテナンス2。50歳入って、急に超頭部の髪が薄くなり、精力が著しく落ちているのを自覚する。男としての意味がない。52歳頃から夜中にトイレに行くようになる。いつの間にか、夜中必ず1回はトイレのために目を覚ます。同時に、日中の急な尿意を我慢できないようになり、危うく漏らしそうになることが頻発する。腰痛、肩こりに加え、老眼が際限なく進み、ど近眼であったのに、スマホは眼鏡を外さないと見えないし、かと言って離れたものは眼鏡がないとどうしようもない。つまり、初老から老人へ移行している過程なのだろう。これを哀しいこととするか、自然なことととらえるかだが、私はその事実を受け入れながらも、その範囲で最良の状態を続ける努力はした方がいいと考えている。筋力低下の方向は自然なことではあるが、筋力を鍛える方がメリットが多い。食事で何を摂るかは、重要である。何をどのようにして、いつ摂取するのかを出来るだけ科学的な根拠を持って行う。細かいことはまた別の機会に言うとして、身体のメンテナンスは50歳代から重要なファクターである。身体の調子が良く、やりたいことを考えて、自由に行動できるとき、人は豊かに生きているのではなかろうか。